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卒論と追いコン


1月7日~8日に提出であるはずの卒業論文を、7日の夜中から8日の朝に字数だけ埋めたような代物にして提出。
自分でもどうしてこうなったんだろう、と暗い思い出になりました。
2月3日の口頭試問、前日までその存在を知らず、2~3日後だと勝手に思っておりました。
前日に連絡をくれた友人は神です。
口頭試問では生まれる前からやり直したい、と申したものの、教授にもう一年やった方がいいとほのめかされて、それは無理だと我が儘を通しました。
例えもう一年やったとしても、結果は同じであることは目に見えているので。そこまでやる気というものを失っていました。
それに、クソ兄貴が専門学校へと行くことが決定したし、奨学金は受けられないし
一部を一週間後に再提出、の課題を出され、なんとも重い気持ちのまま取り掛かりました。

3日後、ゼミの飲み会がありました。
学科全体の飲み会である「予餞会」の二次会でした。
ちょっとした手違いにより、不参加でしたが参加となってしまいました。
教授よ何故幹事に私が出席すると言った後に神の友人に私の出欠を訊いたんですか。
これは行く気がないのにも関わらず、案内の用紙を受け取ってしまった私にも非があるのでしょうか。
幹事もグループLINEで間違った情報を流さず、私個人に確認を取るのが筋ってもんでしょう。
そもそもこの飲み会自体の段取りが悪すぎです。もっとしっかりしてください。
えぇい、今思い出しても苛々する。
苛々することはそれだけではなく、飲み会の最中にも。
私の後に口頭試問だった男性が、私にずっと「教授の隣に行け」とうるさい。
更に私の課題の再提出をあげつらう。うるさい。
機嫌を損ねてしまったから彼だけ通常よりも二倍の時間も取らされたことには同情します。
しかしこちとら再提出をくらって気分が沈んでいるのと手違いで苛々しているんです。ほっといてください。
耐え兼ねてトイレで声を上げて泣きました。ついでに血ゲロも吐きました。これには私も驚きです。トイレが二つあって良かった。
神である友人が助けに来てくれました。
もう一人の友人も心配して見に来てくれました。
捨てる神あれば拾う神あり、でしょうかね。ちょっと違いますかね。
とにかく、落ち着かせてもらって何とか人前に戻ることが出来ました。
タイミングが良いのか悪いのか、集合写真を撮るときでした。
その後、結局教授のいるテーブルへと席替えになってしまいましたが、私はほとんど喋りませんでした。
周りには私の友人がいて、彼女らが代わりに喋ってくれたので、助かりました。
同じ席になった友人の一人に、泣いてたことがバレてしまい、気恥ずかしかったです。
その子はふんわりした感じなのに、男子を突いたりして強気に出ていました。意外な一面を見ました。
彼女と時折会話しながら、お箸の袋を切り取って折り紙をしていました。
友人に助けられはしたものの、楽しかったとは言えない飲み会でした。
それでも、皆でお金を出し合って買った焼酎の甕を受け取った際に言った教授の「ここにいる全員、卒業出来るぞ。留年が確定してるやつ以外は」の一言で半分ほど救われたような気がします。
だったらもう課題したくねぇ、となりましたが、ちゃんと出しました。半分疑ってかかっていたので。

2月21日朝、通知がきました。
速達ではなかったので、卒業が確定しました。


就職活動もせず、ここまで来てしまいました。
しかし今は、絶望もしていません。
諦めとは少し違うと思います。
何故なら前向きに職を探しているので
母は、とにかく何でもいいから働いてくれ、と言いました。
肩の荷が下りたような気がしました。
まだ「若い」ということを武器にして、手っ取り早くお金を稼ぎつつ、目標を定めていこうと思います。


さて続きは楽しい楽しい卒業ライヴのお話。

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